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雷電神社(らいでんじんじゃ)は、埼玉県幸手市中4丁目21-10(旧地名:大字幸手字田宮)に所在する神社である。 == 概要 == この雷電神社は別雷之命・配祀倉稲魂命・菅原道真の三柱を祭神とし、古くには田宮の庄幸手領の総鎮守であったが、明治維新後の1873年(明治6年)4月以後は村社に指定されている。〔『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(190ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行〕本殿は1844年(天保15年)11月に上棟の再建が行われており、1856年(安政3年)6月2日にも再建が行われている。雷電神社の由緒としては、「第11代垂仁天皇の10年のある日に天地が振動雷鳴し、水田中に身の丈7寸余りの黄金の御神像が天から降り、村民のだれもが驚いた。村民は一社を建立したが、当時周囲には水田が広がるのみで民家はなく、わずかに当神社が建つのみであった。ゆえに「水田の中にある社宮」ということから、世の人々はこの地一帯を「田宮」と呼んだ。」というものである。〔『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(190ページ・249ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行〕また、雷神は水との関わりが深いため、特に農民からの信仰を集めた。他に社殿の裏手に「瘤神社」・「疣権現」・「疱瘡宮」と彫られた石が建立されており、皮膚病の人々の信仰の姿を知ることができる。〔『現地所在の案内板』 幸手市教育委員会 設置〕 境内社として稲荷社、名称不明の一社、御嶽仮山が祀られている。境内施設として、本殿(社殿)、鳥居(「正一位 雷電宮」の神額)、案内板、「村社雷電神社」と彫られた石碑、狛犬一対、灯籠(複数)、手水舎、力石(複数)、境内社(名称不明の境内社に鳥居あり、稲荷社には鳥居なし)、「伊勢太々御神楽」と彫られた石碑、「伊勢参宮記念」と彫られた石碑、「田宮町 子供神輿新調記念」と彫られた石碑、「二十三夜塔」と彫られた石碑(複数)、「奉納畑七畝九歩」と彫られた石碑、「猿田彦太神」と彫られた石碑(複数)、「稲荷大明神」と彫られた石碑、「御嶽山」と彫られた石碑(複数)、仮山(模擬山)、「三笠山」と彫られた石碑、「寛心行者」と彫られた石碑、「両部 江戸水神宮」と彫られた石碑、「瘤神社」と彫られた石碑、「疣大権現」と彫られた石碑、オリエンテーリングのチェックポイント、田宮自治会館、ツバキの木、マキの木、欅の木、イチョウの木、モミジの木、サツキ、ヤツデ、棕櫚、笹などである。〔『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(171ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行〕〔『幸手市史 特別版 幸手歴史物語 川と道(57ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十四年一月三十日 発行〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雷電神社 (幸手市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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